小袖生活
【小袖との出逢い】ゆったり小袖生活|ふだん着物|くさのめ工房
小袖との出逢い
小袖のDNAがよみがえる
ふだん着の着物の祖母と母
私が生まれたのは、東京の下町、早稲田。
近所には畳屋のおじさん、鰹節屋のおばさん、話しながら買い物できる商店街。
その町で、母は冬になると、ウールや木綿の着物で家事をしてました。
明治生まれの祖母は、年中着物をずっと着て過ごす人でした。
二人の女性の着物姿を見て、私は育ちました。
着物の節約と工夫
祖母と母は、東京の繊維問屋街へ通ってました。
反物を、より安く買うためです。
幼い私は、問屋街の店先で待たされたこともありました。
家では、自分の着る着物を縫う、祖母と母の姿も日常でした。
二部式の着物を縫い、節約で布を継いだ帯を縫ったり…
洋服生地の二部式の帯。アイディアがとても豊かでした。
この形ではない着方がある
そんな母たちの姿を見て、覚えた着物の着方。
するすると動くしなやかな手さばきは、
とても楽しいものでした。
そして成人のお祝いの時。
私は2〜3回しか着ない振り袖を、
もったいないからと断りました。
一生着られるように選んだ着物。
それは黒い結城紬です(日記▶成人の着物 )
そんな私が、20才の頃に感じたこと。
私の体の中から、 沸き起った確かな感覚。
着物を着ると「この形ではない、着方がある。」と感じたのです。
「ちがう」「これでは、ない」と、ハッキリとからだの声がします。
母にも聞くと困っていましたが、私の感性を尊重して、応援してくれました。
魂の奥から沸き起こる、不思議な感覚でした。
これが、のちに小袖に繋がるとは、この時には想像もしていませんでした。
4歳の夢を叶える
陶芸家として働く暮らしの中で、ある日、突然に歩けなくなりました。
本当に驚き、悲しみ、生活もすべてが、ガラリと変わってしまいました。
途方に暮れましたが「今までやりたかったことをしよう」と気持ちを切り替えて…
ありのままを受け入れ、回復したら役に立ちそうなことを探しました。
その中で思い出したのが、4才の時の記憶。
「わたしも、おかあさんと、おばあちゃんみたいに、キモノをぬうんだもん。」
たぶん、人生で初めての夢だったでしょう。
それは小袖ですよ
杖をついて、先人の知恵と資料を
探して、図書館を周りました。
回復したら着物生活で、陶芸の仕事を
しよう。袴も作ろうと心に決めて。
体の語る着物の寸法と、イメージが
一致する形を求めて。
文献を研究していると、体の痛みを
忘れるほど集中できました。
そして、思いがけず、出逢いがありました。岡山の勝部さんです。
KOSODE製作をする勝部さんに、体からの沸き起こる話すると、、、
「あなたが言っていることは、それは小袖ですよ」
長い間、誰に聞いても得られなかった言葉でした。
『私の感覚は間違っていなかったんだ。昔の着ていた感覚と同じだったんだ』
とてつもなく、大きな安心感と確信を感じて、迷っていた気持ちがなくなりました。
さらに試作を重ねながら、小袖と袴での暮らしを始めました。
ゆったりと体に布をまとう小袖。骨盤に巻いた帯の堂々とした心地よさ。
おかげさまで、こころと体が、活き活きとして、楽に暮らしています。
いま、ここに、私はいる。今を感じる衣。それが小袖です。